YADOの制作年表
 
1994年頃 「ツクール」と言う存在をセロード君(のちのサイト「気紛れな空間」の共同管理人)から伝授。
この頃セロード君の家で見ていたアスキー製のコンストラクションツールは、
PC-98版「ダンジョンRPGツクールだんだんダンジョン」と「チャイムズクエスト」だったはず。
1995年8年23日 スーパーファミコン版「RPGツクール SUPER DANTE」で初めてゲーム制作を行う。
保存容量が少ない中で、2つの異なるシナリオを入れてみたり、
複数のオブジェクト(宝箱など)を調べる順番でデータの引き継ぎができるようにしてみたりと、
この頃から「仕様の壁の中で何ができるのか」を色々と模索していました。
1996年1月31日 スーパーファミコン版「RPGツクール2」でゲーム制作を行う。
「何を作ったのか」は覚えていませんが、「バグがあった」と言った記憶と、
作品を保存する記録メモリも購入したので「お金がかかった」と言った記憶だけは残っている。
1996年6月 PC-98版「シューティングツクール98」を使い、初めてパソコンでゲーム制作を行う。
しかし少し触れただけでゲーム作品は完成しておらず、
6月12日にロゴマークとして「ヤドカリ君」を作成しただけで、すぐに制作をやめてしまった。
1996〜1999年 PS版「3Dシューティングツクール」「サウンドノベルツクール2」でゲーム制作を行う。
「3Dシューティングツクール」では5個のステージあるような感じに設定してみたり、
「サウンドノベルツクール2」ではパスワードを導入して、
2つの作品を繋ぐように設定してみたりと、相変わらず「仕様の壁」と戦っていた。
パソコン版の方は主にPC-98版「RPGツクール Dante98 II」を使ってゲームを制作。
RPGは作らず、リバーシなどを作っていましたが、
「Dante98 II」は1つのマップで使用できる制作容量が決まっていたため、
2つのマップを行き来しながら処理すると言った荒業で何とかリバーシを動かしていた。
1999年まで総括 1990年代は、SFC、SS、PS、N64、DCと言った様々なゲーム機を購入し、
1980年代のゲーム機(FC、PCエンジン、MD)に加え、X68000なども所有していたので、
ゲーム制作よりもゲームプレイの方がメインにやっていました。
また当時はゲーム作品を完成させてもそれを発表する場が無く、
アスキー主催のゲームコンテストへ応募するくらいしかゲームを制作する意味が無かったため、
特にTVゲーム版のツクールの場合は、コンテストの応募期間が終了すると、
すぐにゲーム制作をやめてしまいました。
2000年4月24日 Windows版「RPGツクール2000」でゲーム制作を始める。
先にセロード君が「RPGツクール2000」を購入しており、
セロード君の家でエディタ画面や仕様などを確認してから購入していたため、
発売日(4月5日)には購入していない。
「Dante98 II」の時には、
変数は「2桁×100個」でマップごとに制作できる容量が決まっていた仕様だったため、
それと比べた時の「RPGツクール2000」の仕様はとにかく凄かった!
但し初期バージョンにはバグもあり、特にコモンイベントのバグには悩まされた。
2000年5月9日 Windows版「六角大王Super」を購入。(その後Ver[5.5]まで購入)
六角大王シリーズで作られた3DCGは、YADO作品の様々な場面で使用しています。
▼「3ST」のステージ背景 ▼「岩動」のタイトル画面
▼YADOT「3Dダンジョンを作る」 ▼「ニナと会話」
2000年6月末 インターネットを始める。
この頃のネット接続は「テレホーダイ」を使っていたため、23時以降の接続であり、
また家族共有のパソコンしかネットができなかったため、あまりネットはやってなかった。
なお2000年の時には…
「ネット上には自分よりも凄いイベント設定をする人たちがたくさん居て凹みそう」
と言った理由で、ツクール系のサイトにはアクセスしていない。
2000年夏頃 YADOの自宅にセロード君が「RPGツクール2000」のアップデータを持ってくる。
当時のYADOは「バグがあってもこのまま使うしかない」と考えていたため、
「アップデータでバグが直る」と言った発想が無く、このアップデータの存在には驚きました。
まあ実際には「RPGツクール2000」のマニュアルの126ページ目をよ〜く見てみると、
アップデータの事が書いてあったんですけどね。
このアップデータにより、コモンイベントのバグなどが解消され、制作環境が改善されました。
2001年1月4日 新年(新世紀)になったと言う事もあり、
この日初めてネット上の「RPGツクール2000」関連のサイトへアクセスしてみました。
アクセスした後の感想は「凄いイベント設定をする人があまり居ないな〜」でした。
2001年1月19日 YADOの初公開作品「ドラクエ風歩行システム(通称「ドラホコ」)」を公開。
当時は自身のサイトが無かったため、
サイト「RPGツクール2000素材の部屋」(現在は閉鎖)にて公開して頂いた。
この頃の質問掲示板では、
「主人公たちを列にして歩かせたい」と言った質問が頻繁に書き込まれていましたが、
「初心者には無理」の一言で切り捨てられており、ツクール初心者が路頭に迷っていました。
そんな状況の中でイベントをコピーするだけですぐに使えるドラホコの公開は、
かなりインパクトがあり、ドラホコはすぐに広まっていきました。
2001年1月27日 「気紛れな空間」を仮開設。
開設当初はサイト名が無く、サイト名「気紛れな空間」が付いたのは2月2日でした。
この頃の「気紛れな空間」はウェブサイトの制作練習場と言った感じでした。
2001年1月29日 初教材作品「変数伝授」をメール経由で配信。
この時の「変数伝授」はまだ未完成であり、「変数伝授」を配信した方には、
「少し作ってはメールで送る」を繰り返していました。
この頃の質問掲示板では「変数の使い方が分からない」と言った質問も多くあったため、
サンプルを交えて徐々に勉強していく「変数伝授」は、多くの方から支持されました。
2001年2月 書籍「RPGツクール2000ハンドブック」を購入。
この時は普通に書店で「2000円+税(2100円)」で購入したのですが、
のちにこのハンドブックが絶版になったあとは中古価格が高騰し、
一時は付属CD無しで1万円以上になるなど、とんでもなく高騰していました。
そして2020年になってもAmazonなどの中古価格は、定価よりも高い状態が続きました。
2001年3月22日 初ゲーム作品「迷路2」がサイト「和陽の家」(現在は閉鎖)にて公開。
元々「和陽の家」で公開されていた2Dゲーム「迷路」に、
YADOが疑似3Dの迷路を追加して「迷路2」と名前を変えて公開した作品でした。
のちに「和陽の家」が閉鎖する事となり、「和陽の家」の管理人様とのご相談の上で、
「気紛れな空間」の方で「迷路2」を公開する事になりました。
2001年4月1日 「気紛れな空間」が正式に稼働開始。
稼働して数年間はトップページに「管理人:セロード」としか書かれておらず、
「YADOが管理人では無いのか?」「セロード=YADO?」などと戸惑う人もいました。
2001年4月7日 この日よりネット接続がブロードバンド(24時間定額接続)となり、
自身のパソコンからもネットが繋がるようになりました。
前日までは、デバッグ依頼を受けてメールで作品データを受け取った場合、
まず作品データをフロッピーディスクに保存し、1階から2階へ駆け上がり、
フロッピーから自身のパソコン内へ作品データを移動し、
圧縮を解凍してツクール上で作品を開き、バグを直して再び作品データを圧縮し、
バグの原因や修正箇所を書いたテキストファイルと共にフロッピーへ保存し、
1階へ駆け降りて来て、フロッピーからネット接続用のパソコンへデータを移動し、
そしてメールで返信すると言った作業を23時以降に行っていましたが、
そのような手間が無くなり、24時間快適なネット生活が始まりました。
※ネット接続のパソコンは1996年製の型落ちだったため、動作確認が出来なかった。
そして新たに作成したメールアドレス名を「yadokari」にして、
この日からハンドルネームを「YADO」(yadokariの頭4文字)にしました。
なお、以下のロゴマークもこの日から使用しています。
2001年6月23日 「気紛れな空間」に質問掲示板を設置。
当時としては珍しい「ツクール初心者にも優しい質問掲示板」だったため、
他の質問掲示板で嫌な思いをしたツクール初心者が駆け込み寺のようにやって来ました。
質問掲示板の設置当初は「気紛れな空間」自体があまり知られて無かった事もあり、
殆ど質問が来ませんでしたが、9月頃になると週に1〜2件の質問が来るようになりました。
2002年1月1日 サイト「YADO空間」をこっそりと公開。(2017年1月31日にひっそりと消滅)
2002年1月26日 3ST」を公開。
3STを公開する前までは、
YADOが「リアルタイムの疑似3Dゲームが作れる」と言っても信じてもらえず、
YADOがデマを吹いているように見られていましたが、
3STの公開後はそのような否定派が一切居なくなりました。
「絶対無理に決まっている!」と断言していた者は、一体どこへ行ったのやら・・・。
但しこの頃の3STは処理が重く、「3Dは出来るけど処理が重い」と言った感じでした。
2002〜2003年 この頃が「RPGツクール2000」の全盛期と言っても良い状態です。
質問掲示板にはほぼ毎日のように質問が書き込まれ、多い時には質問が週に10件以上。
ツクール200x系のチャットも賑わっており、チャット仲間とのオフ会も行っていました。
(オフ会にはYADOも2回参加)
2002年12月18日 Windows版「RPGツクール2003」を購入。
初期バージョンはとにかくバグが酷くて使いにくかった。
しかし「RPGツクール2000」と比べてピクチャが2倍の40枚(のちに50枚)が使えたり、
キー入力で「Shift」や「+」などが使えるなど、「RPGツクール2000」よりも機能面は良かった。
「RPGツクール2003」は主に制作サポート用として購入しており、
YADO著作のゲーム作品は制作していません。
なお「RPGツクール2003」に付属していた「RPGツクールα」に関しては、
教材作品「変数伝授i」を制作して公開しました。
2003年3月 書籍「RPGツクール2003ハンドブック」を購入。
「RPGツクール2000ハンドブック」よりもなぜかテクニックの紹介が削られており、
「RPGツクール2003と同様にハンドブックも残念な出来だったな〜」と言った印象でした。
2003年5月14日 Windows版「RPGツクール2000 VALUE!」が発売。
この発売に合わせてアップデータ「1.50」が公開され、
初期版の「RPGツクール2000」の機能が大幅にパワーアップ!
ピクチャーが20枚から50枚になり、戦闘アニメがピクチャーの上に表示されるようになった。
キー入力の方向キーが単独で設定できるようになり、「Shift」が使えるようになった。
制御文字では「\n[\v[1]]」と言ったように変数で数値が設定できるようになった。
「RPGツクール2003」もアップデータ「1.05」が公開され、
これにより「RPGツクール2000」と「RPGツクール2003」との機能面の差があまり無くなった。
中には「2000よりもピクチャーが多く使えるから2003を買ったのに…」となげく者も居た。
2003年9月1日 「気紛れな空間」のURLを変更。
2003〜2004年 雑誌「テックウィン」の連載作品「まいメイドストーリー」(作者「しめのつかさ」さん)の
制作を手伝う。
▼制作を手伝う事になったきっかけ
2003年10月15日にドラホコに対する使用許可のメールが送られて来る。
それに対し「使用許可は不要」と返事を書くと共に、
いつものように「システム制作で困ったら何でも聞いて下さい」と記載し、メールを送信。
するとデバッグ依頼がやって来たので、添付された作品データを見てみると、
かなり絶望的な状況である事を確認。
そのため、半ば強引にこちらから歩み寄って制作を手伝うようになった。
▼YADOが手伝った範囲
第1章:デバッグのみ。
第2章:デバッグ付きテストプレー、命令システム&ステータス画面のイベント制作。
第3章:商品交換システムを作成。
▼制作を手伝った期間
2003年10月16日〜2004年1月19日
▼報酬等
単なるサポートの一環であり、YADO自身が請け負った仕事でも無かったので、
報酬やお礼品の受け取りは辞退しました。
▼命令システム&ステータス画面のシステム
この作品の心臓部とも言える「命令システム」と「ステータス画面のシステム」は、
コピーするだけですぐに使える「イベント素材」を採用しました。
今までに作成したイベント素材の中では、最も高性能なシステムでした。
ドラホコ 二人行動が基本だったが、一人行動(一人は停止)にも柔軟に対応。
ジャンプ ジャンプの距離は最大6マスで、
変数でジャンプの最大距離が変える事ができ、
ジャンプが可能である場合は、画面右下に「ジャンプ可能」を表示。
高低差処理 地形IDを使い、高低差を判断していました。
着地地点と同じ高さなら、谷越えのジャンプも可能。
高さが異なる場合は、敵が隣りのマスに居ても攻撃を受けない。
物を持って投げる 高い所から物を投げると放物線を描いて落下する。
高さが異なる場合は、敵と重なっても当たり判定は発生せず、
すぐ隣りにいる敵に投げても、高さが異なる場合は当たらない。
目の前の物が持てる場合は、画面右下にお知らせを表示。(OFFも可)
命令メニュー表示 主人公の向きに合わせてメニューの吹き出し位置が変わる。
主人公と命令メニューが重なると自動的にメニューが半透明化。
ちょっと扱いが難しいかったので、簡単な取り扱い説明書も作り、お渡ししました。
一応時間が空いたら「しめのつかさ」さんが自力でシステムを作ると言っていましたが、
締め切り1時間前までYADOを含めて動作テストを行っていた状況なので、
とても自力でシステムが組める状況ではありませんでした。
この作品は未完に終わっていますが、未完に終わった理由は主に2つあると思います。
当作品は「RPGツクール2003」の販売促進(制作見本)として連載していたと思いますが、
当作品の連載途中に「RPGツクールXP」の発売が決まり、
「RPGツクール2003」を販売する流れが「RPGツクールXP」を販売する流れに変わった。
連載していた雑誌「テックウィン」が「月刊」から「季刊」に変わり、
また「しめのつかさ」さんからの情報では、この作品の連載当時の編集長や担当編集者、
ソフトウェアの開発スタッフなどがみんな居なくなってしまったらしく、
雑誌(エンターブレイン)の内部の変化も、この作品が未完になった原因と考えられます。
2004年3月8日 雑誌「テックウィン4月号」のコンテストパークにて「3DD」が銅賞(5千円)を獲得。
2004年7月22日 Windows版「RPGツクールXP」を購入。
しかしインストールしただけで殆ど触っていません。
2004年8月8日 サイト「YADOT」を開設。
開設当初はたった16ページしか無い状態でしたが、需要が多そうなページや、
比較的ページ制作が楽そうなページを中心に、徐々にページを増やしていきました。
またWindowsVista以降で「RPGツクール2000」に付属するヘルプファイルが開けなくなると
言ったトラブルが発生したため、素材の規格情報を紹介するページなど、ヘルプファイルの
代わりになるようなページも増やしていきました。(この問題はVer[1.52]で解消された)
ページ制作が面倒である自作戦闘のページ制作は後回しになったため、
現在ある自作戦闘のページが全て出揃うまでに12年かかっています。
「YADOT」では何度か「全ページ更新」と言った大規模な更新を行っています。
その中で特に大変だったのが、エディタの設定画面やエラー画面の画像を更新する作業でして、
中には「WindowsXP」「Windows8」「Windows10」と複数回変わっているものもあります。
▼WindowsXP

▼Windows8

▼Windows10

それ以外にも文字や一覧表の色や大きさを全ページで統一させたり、
ページ内にショートカットを設置したりと、全ページの更新は少なくとも5回は行っています。
最近では2020年に行っているため、殆どのページの更新日が2020年になっています。
2006年4月1日 独自ドメイン「kkni.net」の取得により「気紛れな空間」のURLが変更し、
そしてサイト名が「気紛れな空間弐」になりました。
なお、サイト名に「弐」が付いた状態は、YADOが好んでおらず、
サイト名変更後もYADOは「弐」を付けずに「気紛れな空間」と表記しています。
2006年4月17日 「RPGツクール for mobile」が配信され、ダウンロードする。
この「RPGツクール for mobile」でYADOは3つの作品を完成させましたが、
制作依頼を受けて完成させた最後の作品「イベントコマンドストーリー」は、
「RPGツクール for mobile」のサービス終了に伴い、公開されませんでした。
作品名 結果
RPGツクールモバイル型リバーシ 3万円(金賞)
岩動 1万5千円(銀賞)
イベントコマンドストーリー 5万円(依頼料)
2006年8月21日 「アドベンチャーツクール for mobile」をダウンロードする。
こちらは少々触れただけで、作品を作っていません。
2006年9月9日 サイト「YADOTモバイル」を開設。
2007年5月31日を以って「RPGツクール for mobile」と「アドベンチャーツクール for mobile」
のゲーム配信が終了し、それに伴い、エディタの方の公開も終了しているので、
現在では「YADOTモバイル」の存在意義は無くなってしまいましたが、
折角作ったサイトなので、現在でも公開中(放置状態)です。
2006年11月18日 「VB.NET」で作成した初プログラミング作品「もじか2000」を公開。
2007年12月28日 Windows版「RPGツクールVX」を購入。
インストールしただけで放置していましたが、
のちにサイト「YADOT-DS」の見本画像を作る時に使用しました。
2008年6月9日 テックウィン2008年夏号コンテストパークにて「ピース123」が銅賞(5千円)を獲得。
なお、この号を以って、コンテストパークが終了しました。
2000〜09年総括 2000年代前半は、PS2、XBOX、GC、PSP、DSなどの新しいゲーム機が発売し、
YADOの活動はゲームプレイとゲーム制作が半々な感じでした。
2000年代後半になると、TVゲームからは徐々に距離を置き、
ゲーム制作や「YADOT」のページ制作などがメインになっていきました。
ネット内の「RPGツクール2000(2003)」関連の動きについては、
「RPGツクールXP」が発売した2004年夏以降もしばらくの間は活発に動いていましたが、
2000年代後半になると、徐々に「RPGツクール2000(2003)」を扱うサイトの閉鎖が相次ぎ、
サイトが存在していても更新せずに放置されるサイトが増えていきました。
「気紛れな空間」の質問掲示板は、2004年頃はほぼ毎日のように質問が来ていましたが、
2009年頃になると1週間に1件も質問が来ない事もありました。
2010年1月30日 「3ST」を「1.20」に更新。
公開から8年を経て、ようやく最初に考えていた形になりました。
2月13日には「3ST」のプレイ動画を動画共有サービス(ニコニコ動画)に初投稿。
2010年3月12日 ニンテンドーDS版「RPGツクールDS」を購入。(のちにもう1本購入)
イベコマストーリー第1話」と「イベコマストーリー第2話」を作成し、
サイト「ツクール城」(現在は閉鎖)にて公開。
イベコマストーリー第2話」は自作戦闘を導入するなど、かなり意欲的に作ったものの、
公開後の簡易審査で削除されたため、わずか2週間の公開となった。
2010年3月14日 サイト「YADOT-DS」を開設。(2011年4月20日以降は放置)
2010年12月25日 追いかけるコッコ君!」を公開。
この作品がYADOがRPGツクールで制作した最後のゲーム作品になりました。
2011年1月 ゲーム制作の環境を「ウディタ」へ移行。
ウディタへ移行した理由は、
「RPGツクール2000」は画面解像度やマウスが使えないなどの仕様の問題があり、
「RPGツクールXP」や「RPGツクールVX」ではRGSS(2)の使い方を覚える必要があったため、
イベントコマンドだけで制作できるウディタを選びました。
なお、2011年は「YADOT」の制作を重点的に行っていたため、
本格的にウディタを使い始めたのは2012年以降でした。
2011年3月11日 「YADOT」へアクセスができなくなる。
原因は「YADOT」が入っているサーバーに障害が発生したためでしたが、
この日は東日本大震災が発生した日であり、「YADOに何かあったのでは?」と心配される。
サーバーの障害は、私が借りているサーバーのみで発生していたので、
震災とは関係が無かったですが、よりによってこの日に障害が発生するとは…。
しかも地震の影響で私の所は停電になっていて、ネットの接続が出来なかったため、
サーバーの障害有無を確認する事も、皆さんに知らせる事も出来ませんでした。
2012年6月20日 ウディタで制作した初ゲーム作品「3Dダンジョンをお散歩」を公開。
2012年7月29日 第4回ウディコンにて「病原体」を公開。 (総合15位/全72作品)
2013年3月17日 ウディタで制作した初コモン素材「気紛れ3Dダンジョン」を公開。
また「気紛れ3Dダンジョン」を使って作られたゲーム作品「ライカ」も同日に公開。
2014年6月 「YADOT」が一時消滅。(36時間以上は消滅していた)
今回の場合は、2011年3月にあったサーバーの障害とは異なり、
ドメイン「yado.tk」自体がサーバーの管理画面から消滅していました。
急いでサーバーの管理会社へ連絡したら、10分くらいで復活しました。(原因は不明)
ドメインが復活すると、溜まっていたメールが一気に送られてきて、
その中にはYADOTの復活を希望するメールまでありました。
2015年7月26日 第7回ウディコンにて「ニナと会話」を公開。(総合23位/全72作品)
2015年12月28日 Windows版「RPGツクールMV」を購入。
しかしインストールしただけでその後は放置。
2017年8月8日 サイト「YADOT-WOLF」を開設。
「YADOT」の方はたった16ページからスタートしましたが、
「YADOT-WOLF」の方は半年以上の準備期間を経て、106ページのスタートになりました。
2019年7月21日 第11回ウディコンにて「言葉週間」を公開。(総合35位/全65作品)
2010〜19年総括 2010年代のYADOの活動は、主に「YADOT」とウディタの制作を行っていました。
2012年頃にゲーム機(FC、DS、PSP、PS2、PS3)が次々と壊れ、
その喪失感でゲーム機からは完全に遠ざかりました。
2010年以降は「気紛れな空間」の質問掲示板の利用や、
YADOへのメールの問い合わせ(デバッグ依頼)などが徐々に減っていき、
2010年代後半になると、質問掲示板の質問数は月に1〜2件程度となり、
デバッグの依頼メールなどは、年に1人いるかどうかと言った感じになりました。
また2010年代後半になると、無料のウェブサイトのサービスが次々と終了し、
放置されていた「RPGツクール2000」関連のサイトが次々と消滅していきました。
ちなみにサイト「YADO空間」が2017年1月31日に消滅したのも、
プロバイダーがウェブサイトのサービスを終了したためでした。
2020年7月23日 第12回ウディコンにて「やどにげ」を公開。(総合70位/全80作品)
2021年4月1日 「気紛れな空間」が開設20周年。
2021年7月18日 第13回ウディコンにて「ニアとアインの冒険」を公開。(総合11位/全63作品)
2021年10月31日 予定していた「YADOT」「YADOT-WOLF」のページ制作が完了。
ゲーム作品は今後制作するかどうか不明。(作りたいと思うゲームアイデアが無いため)
2022年1月5日 「YADOT」が一時消滅。
2014年6月にも消滅事件があったが、今回はメールの受信ができたので、
ドメインやサーバーは生きている事が分かり、自身のPCの問題かと思い、
再起動や一時ファイルの消去などを色々試してみましたが効果が無く、
その後Twitterのつぶやきから自分以外の人もアクセスできない事が分かり、
サーバーの管理会社へ問い合わせてみた所、暫くしたら復活しました。(原因は不明)
2022年11月22日 この日、ウディタのバージョンが「3.00」になり、ウディタの仕様が大幅に変更。
それに伴い「YADOT-WOLF」のページも「3.00」に合わせた更新作業を開始。
また同日に「ウディタ プロ版」が発売されたので、さっそく購入。
これは「YADOT-WOLF」のページ作成用に購入したので、プロ版でゲームを作る予定はありません。


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